第26代 継体天皇陵 陵名=三嶋藍野陵
(ミシマノアイノノミササギ)
陵の形=前方後円・堀 皇居=樟葉・筒城・弟国・磐余玉穂宮
父=彦主人王 母=三国振媛
皇后=仁賢天皇の娘手白香皇女 后妃=多数
在位年数=25年(507〜531年) 年齢=82歳(450〜531年)
所在地=大阪府茨木市太田3丁目
2004.11.29、茨木市の当陵を訪ねた。前方後円の大きな古墳である。真陵は高槻市の今城塚古墳であるというのが定説らしい。
この天皇、多くの后妃と多くの子供をもうけている。安閑・宣化・欽明天皇は皆兄弟。
 参拝年月
2004.11.29、撮影

2004.11.29、撮影
2019.7.21
2013.12.15  
2004.11.29
2005.1.9、不動山から下りて

継体天皇の娘、聖徳太子のおば
「白坂活日姫」庵跡
 
2005.8.24、朝日新聞

第27代 安閑天皇陵 陵名=古市高屋丘陵
(フルイチノタカヤノオカノミササギ)
陵の形=前方後円・堀 皇居=匂金橋宮
(マガリノカネハシノミヤ)
父=継体天皇 母=尾張目子媛
皇后=仁賢天皇の娘春日山田皇女 后妃=三人
在位年数=5年(531〜535年) 年齢=70歳(466〜535年)
所在地=大阪府羽曳野市古市5丁目
 2004.8.3、羽曳野市の当陵を訪ねた。この陵も隣は民家で窮屈な感じ。
清寧天皇陵や日本武尊の白鳥陵がすぐそばにあった。

2004.8.3、撮影

2004.8.3、撮影

第28代 宣化天皇陵 陵名=身狭桃花鳥坂上陵
(ムサノツキサカノエノミササギ)
陵の形=前方後円・堀 皇居=檜隈廬入野宮
(ヒノクマノイオリノミヤ)
父=継体天皇 母=目子媛
皇后=仁賢天皇の橘仲皇女
在位年数=5年(535〜539年) 年齢=73歳(467〜539年)
所在地=奈良県橿原市鳥屋町
参拝年月  2004.3.28、畝傍山の近くにある五つの御陵のうちのひとつの当陵を訪ねた。
「図説天皇陵」によればこの陵は宣化陵の蓋然性は低いとしている。
 2013.5.19
2004.3.28、宣化天皇陵
 

2004.3.28、陵の周りはお堀
 2004.3.28
2013.5.19 
 
2013.5.19

第29代 欽明天皇陵 陵名=檜隈坂合陵
(ヒノクマノサカアイノミササギ)
陵の形=前方後円・堀 皇居=磯城島金刺宮
(シキシマノカナサシノミヤ)
父=継体天皇 母=手白髪女
皇后=宣化天皇の娘「石姫」 后妃=五人
在位年数=33年(539〜571年) 年齢=63歳(509〜571年)
所在地=奈良県高市郡明日香村大字平田
 参拝年月日 2004.7.27、明日香の天皇陵を訪ねた。ここは観光客が多いので、解説・案内板が親切に説明してくれている。
欽明13年(皇紀1212年・西暦552年)「百済から仏教がイチニ、イチニ」とやってきた、と覚えるようにこの頃から日本の文化が花開く。
2012.2.22
明日香村最大の前方後円墳、
仏教が伝来し飛鳥文化の源となった」とある。

2004.7.27、欽明天皇陵
  2004.7.27
 
2004.7.27、欽明天皇陵

欽明天皇陵のとなりに吉備姫王墓。
孝徳・皇極天皇の生母。
 
2004.7.27、敏達天皇の皇孫とある吉備姫王墓。

2004.7.27、吉備姫王墓
 
2008.11.20 吉備姫の墓の前に猿石四体

2008.11.20 吉備姫の墓の前に猿石四体

第30代 敏達天皇陵 陵名=河内磯長中尾陵
(コウチノシナガノナカオノミササギ)
太子西山古墳 皇居=百済大井・訳語田幸玉宮
(オサダノユキタマ)
父=欽明天皇 母=石比売命
皇后=額田部皇女(推古天皇)
在位年数=14年(572〜585年) 年齢=48歳(538〜585年)
所在地=大阪府南河内郡太子町太子
 参拝年月  
 2010.5.26  彦八ハイク9名で「近つ飛鳥」ウオークの際、当陵と叡福寺の聖徳太子御廟を参拝した。
 2008.10.16  寿大学で太子町ウオークの際参拝した。
 2005.11.19  OWUウォーキングで再訪した。
 2004.10.7  大阪・太子町にある敏達、用明、推古、孝徳天皇陵を訪ねた。このあたり、無名の古墳が沢山ある。

2004.10.7、撮影

2004.10.7、撮影、敏達天皇陵