第91代 後宇多天皇陵 陵名=蓮華峯寺陵
(レンゲブジノミササギ)
陵の形=方形堂・五輪塔 皇居=平安宮
父=亀山天皇 母=藤原佶子(京極院)
在位年数=14年(1274〜1287年) 年齢=58歳(1267〜1324年)
所在地=京都市右京区北嵯峨朝原山町
2006.10.30、JR嵯峨嵐山駅から長慶天皇陵〜後嵯峨天皇陵・亀山天皇陵〜後亀山天皇陵〜嵯峨天皇陵そして当後宇多天皇陵を訪ねた。
大覚寺からしばらく歩く。

2006.10.30 撮影

2006.10.30 撮影

第92代 伏見天皇陵 陵名=深草北陵
(フカクサノキタノミササギ)
陵の形=方形堂
後深草天皇以下十三方合葬
皇居=平安宮
父=後深草天皇 母=藤原?(イン)子
在位年数=12年(1287〜1298年) 年齢=53歳(1265〜1317年)
所在地=京都市伏見区深草坊町
20007.9.7(金)残暑厳しい一日、後深草天皇陵を訪ねた。
下の写真の通り「後深草」「伏見」「後伏見」「後光厳」「後円融」「後小松」「称光」「後土御門」「後柏原」「後奈良」「正親」「後陽成」の天皇名が列記されていた。
この時代には火葬が定着していたのだろう、合同陵になっている。

伏見天皇は持明院統(後深草天皇系)であるが、大覚寺統(亀山天皇系)である後宇多天皇の皇太子になり即位するが、
この時代より持明院統(後深草天皇系)と大覚寺統(亀山天皇系)の対立が激化していき交互に皇位継承することになる。

2007.9.7 撮影

2007.9.7 撮影



第93代 後伏見天皇陵 陵名=深草北陵
(フカクサノキタノミササギ)
陵の形=方形堂
後深草天皇以下十三方合葬
皇居=平安宮
父=伏見天皇 母=藤原経子
在位年数=4年(1298〜1301年) 年齢=49歳(1288〜1336年)
所在地=京都市左京区深草坊町
(火葬塚=右京区嵯峨亀ノ尾町)
2007.9.7(金)残暑厳しい一日、後深草天皇陵を訪ねた。
下の写真の通り「後深草」「伏見」「後伏見」「後光厳」「後円融」「後小松」「称光」「後土御門」「後柏原」「後奈良」「正親」「後陽成」の天皇名が列記されていた。
この時代には火葬が定着していたのだろう、合同陵になっている。

持明院統(後深草天皇系)の伏見天皇の第一皇子にして伏見天皇の譲位で即位したが、伏見上皇の院政開始。
持明院統と大覚寺統(亀山天皇系)の対立激化で南北朝時代の大きな要因になる。

2007.9.7 撮影

2007.9.7 撮影


第94代 後二条天皇陵 陵名=北白河陵
(キタシラカワノミササギ)
陵の形=円丘・空堀 皇居=平安宮
父=後宇多天皇 母=堀川基子(西華門院)
在位年数=8年(1301〜1308年) 年齢=24歳(1285〜1308年)
所在地=京都市左京区北白川追分町
(分骨所=右京区北嵯峨朝原山町 蓮華峯寺陵内町)

第95代 花園天皇陵 陵名=十楽院上陵
(ジュウラクインノウエノミササギ)
陵の形=円丘 皇居=平安宮
父=伏見天皇 母=洞院季子(顕親門院)
在位年数=11年(1308〜1318年) 年齢=52歳(1297〜1348年)
所在地=京都市東山区粟田口三条坊町
2011.9.7、遊歩の仲間と哲学に道をウオーキングした際、知恩院の隣にこの花園天皇陵を見つけた。
残念ながら集団ウオークのため、陵前での参拝は欠礼した。

2011.9.7 撮影