第86代 後堀川天皇陵 陵名=観音寺陵
(カンノンジノミササギ)
陵の形=円丘 皇居=平安宮
父=後高倉院 母=平陳子
在位年数=12年(1221〜1232年) 年齢=23歳(1212〜1234年)
所在地=京都市東山区今熊野泉山町 泉湧寺内

昨日(2004.9.11)彦八ハイクで伏見稲荷から阿弥陀ガ峰〜豊国廟を歩いた際、泉湧寺にいくつかの天皇陵のある事が分かった。時間の都合で昨日はいけなかったので本日改めて訪問した。後堀川天皇陵は泉湧寺の境内の外にあり歩いていくと孝明天皇陵の手前左手にあった。


2004.9.12、撮影

2004.9.12、撮影

泉湧寺本堂

泉湧寺山門
泉湧寺には頭に「御寺」がついている。
これは天皇家の菩提寺として明治天皇がつけたと受付のお坊さんが言っていた。

第87代 四条天皇陵 陵名=月輪陵
(ツキノワノミササギ)
陵の形=九重塔 皇居=平安宮
(ヘイアンノミヤ)
父=後堀川天皇 母=藤原靖子
在位年数=11年(1232〜1242年) 年齢=12歳(1231〜1242年)
所在地=京都市東山区今熊野泉山町 泉湧寺内
昨日(2004.9.11)彦八ハイクで伏見稲荷から阿弥陀ガ峰〜豊国廟を歩いた際、泉湧寺にいくつかの天皇陵のある事が分かった。時間の都合で昨日はいけなかったので本日改めて訪問した。
泉湧寺に500円の入山料を支払って境内を歩くと右手奥に四条天皇他24天皇が一つの月輪陵に祀られていた。

2004.9.12、撮影

2004.9.12、撮影

第88代 後嵯峨天皇陵 陵名=嵯峨南陵
(サガノミナミノミササギ)
陵の形=方形堂 皇居=平安宮
(ヘイアンノミヤ)
父=土御門天皇 母=源通子
在位年数=5年(1242〜1246年) 年齢=53歳(1220〜1272年)
所在地=京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町 天竜寺内
(火葬塚=京都市右京区嵯峨亀ノ尾町)
2006.10.30、気持ちよい秋晴れの一日京都・嵯峨嵐山駅から長慶天皇陵を経て天龍寺のここ後嵯峨天皇陵と亀山天皇陵を訪ねた。
天龍寺には参拝客が列を成していたが、その横手の二陵には誰もいなかった。
天龍寺の隣に亀山公園があるが、その山頂には後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の火葬塚があった。

後嵯峨・亀山天皇陵

後嵯峨天皇陵

後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の火葬塚

後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の火葬塚

第89代 後深草天皇陵 陵名=深草北陵
(フカクサノキタノミササギ)
陵の形=方形堂
後深草天皇以下十三方合葬
皇居=平安宮
(ヘイアンノミヤ)
父=後嵯峨天皇 母=藤原ユウ子(大宮院)
在位年数=14年(1246〜1259年) 年齢=62歳(1243〜1304年)
所在地=京都市伏見区深草坊町
20007.9.7(金)残暑厳しい一日、後深草天皇陵を訪ねた。
下の写真の通り「後深草」「伏見」「後伏見」「後光厳」「後円融」「後小松」「称光」「後土御門」「後柏原」「後奈良」「正親」「後陽成」の天皇名が列記されていた。
この時代には火葬が定着していたのだろう、合同陵になっている。

後深草天皇は4歳にして即位しているが、実質的には父後嵯峨天皇の院政が敷かれた。
この父の死に伴い父が目をかけていた亀山天皇が即位、後深草の系統(持明院統)と亀山の系統(大覚寺統)の対立が始まることになる。

いつの時代も世継ぎ問題は難しい。

2007.9.7 撮影

2007.9.7 撮影

第90代 亀山天皇陵 陵名=亀山陵
(カメヤマノミササギ)
陵の形=方形堂 皇居=平安宮
(ヘイアンノミヤ)
父=後嵯峨天皇 母=藤原ユウ子(大宮院)
在位年数=16年(1259〜1274年) 年齢=57歳(1249〜1305年)
所在地=京都市右京区嵯峨天竜寺芒ノ馬場町 天竜寺内
(火葬塚=京都市右京区嵯峨亀ノ尾町)
天龍寺の後嵯峨天皇陵と当亀山天皇陵に2006.10.31、参拝した。
亀山天皇陵の右には後嵯峨天皇陵が並んでいる。
天龍寺の隣、亀山公園には後嵯峨・亀山・後伏見天皇の火葬塚があった。

後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の火葬塚

後嵯峨天皇・亀山天皇・後伏見天皇の火葬塚