その他の御陵・お墓
 陵名  続柄 所在地 
 磐之媛命陵  仁徳天皇の皇后  奈良市佐紀町字ヒシゲ
 応神天皇皇后仲姫命仲津山陵  15代・応神天皇皇后  近鉄土師ノ里駅の前
 大津皇子のお墓  父=天武天皇  二上山
 大原西陵(高倉天皇皇后徳子)  高倉天皇皇后  京都市東山区清閑寺 
 春日宮天皇陵  光仁天皇の父親  奈良市矢田原町
 吉備姫王墓  35代皇極・36代孝徳天皇の生母  奈良県高市郡明日香村大字平田
 慶光天皇陵  第119代光格天皇の父  京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町(廬山寺内)
 神功皇后狭城盾列陵(サキノタタナミノミササギ)  14代・仲哀天皇皇后  奈良市山陵町
 推古天皇皇太子聖徳太子 磯長墓  21代・用明天皇の皇子  大阪府太子町 
 崇道天皇陵  父=光仁天皇  奈良市八島町
 世泰親王墓  長慶天皇の第一子  吉野 如意輪寺の裏手、後醍醐天皇陵の手前
 長慶天皇陵     四国3番札所・金泉寺本堂裏
 日葉酢媛命陵  第11代垂仁天皇の(後の)皇后  奈良市山陵町字御陵前325
 日本武尊白鳥陵  12代・景行天皇皇子  大阪府羽曳野市白鳥
 日本武尊白鳥陵  大阪府羽曳野市白鳥
 12代・景行天皇皇子
参拝年月
2004.8.3、羽曳野市白鳥にある日本武尊(景行天皇の皇子)の白鳥陵に行った。
「羽曳野市白鳥」の由来はヤマトタケルノミコトが白鳥に姿を変え、「羽」を「曳く」がごとく飛び去ったという伝説より。
2004.8.3
2004.8.3、日本武尊の白鳥陵

2004.8.3、撮影

2004.8.3、撮影

2004.8.3、撮影
2013.10.27
大和琴弾原(ことひきはら)(御所市冨田)の日本武尊白鳥陵 
 

 神功皇后狭城盾列陵(さきのたたなみのみささぎ)  奈良市山陵町
14代・仲哀天皇皇后
参拝年月
2005/11/1神功皇后陵を訪ねた。
所在地は奈良市山陵町で成務天皇陵のすぐ隣にあった。
夫婦でも亭主の墓は藤井寺に嫁さんの墓は奈良にと死後は別居。
2005.11.1
2005.11.1、撮影

2005.11.1、撮影
 2015.1.9
  2015.3.27
2015.3.27 撮影 

2015.1.9 撮影 
2016.1.8

吉備姫王墓
35代皇極・36代孝徳天皇の生母

欽明天皇陵のとなりに吉備姫王墓。
皇極・孝徳天皇の生母。

2004.7.27、敏達天皇の皇孫とある吉備姫王墓。

2004.7.27、吉備姫王墓

崇道天皇陵 陵名=八嶋陵
(ヤシマノミササギ)
父=光仁天皇 母=高野新笠
所在地=奈良市八島町

2008.2.19(火) 寿大学から北山之辺の道を歩いたとき、当天皇陵があった。

781年、兄・桓武天皇の即位と同時に光仁天皇の勧めによって還俗し、立太子。
だが785年、造長岡宮使 藤原種継暗殺事件に連座して廃され、無実を訴えるため絶食して淡路国に配流の途中、
河内国高瀬橋付近で憤死した。


「嶋田神社」の直ぐ西に、奈良朝の最後で第49代光仁天皇の第2皇子早良親王(さわらしんのう)の墓「崇道天皇八嶋稜」が在る。
早良親王は、「ならまち」のはずれ南東にある「崇道天皇社」に祀られているが、
785年(延暦4年)藤原種継暗殺事件に連座し、皇太子を剥奪され、
長岡京の乙訓寺へ幽閉の後10日余り断食し、淡路へ流罪が決まって流される途中、
恨みを飲んで淀川の辺りで餓死した。が、死にのぞんで9つの石を投げ、
石の落ちた所に葬って欲しい遺言したら、9つのうち8つの石が八嶋の地で見つかったので、
800年(延暦19年)崇道天皇と追号し、ここ「崇道天皇八嶋稜」に葬られている。


2008.2.19 撮影

2008.2.19 撮影

応神天皇皇后仲姫命仲津山陵 前方後円・堀
15代・応神天皇皇后

2008.3.2(日)道明寺観梅ウオークと題し、藤井寺から道明寺〜富田林へウオーキングの途中
応神天皇陵のすぐそば、近鉄土師ノ里駅の前に応神天皇皇后仲姫命の仲津山陵があった。

2008.3.2、撮影

2008.3.2、撮影

 大津皇子のお墓   所在地=二上山
父=天武天皇 母=天智天皇の皇女大田
参拝年月
2010.3.7、二上山に登った際参拝。

「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を 弟(イモセ)と我が見む」・・・大伯皇女
(この世に残された私は、明日からは二上山を弟と見ましょう。)
2010.3.7



長慶天皇陵  所在地= 四国3番札所・金泉寺本堂裏
 参拝年月
2012.7.22 5巡目の四国遍路の際、たまたま金泉寺本堂裏にこの天皇陵があることを知った。
       ここでは「天皇陵」として祀ってはいるが、宮内庁では・・・?
       同様に此の天皇の「お墓」は全国いたるところにあるという。 
 2012.7.22   

 大原西陵   所在地=京都市東山区清閑寺 
 参拝年月
大原の里を散策中、高倉天皇皇后徳子の御陵にお目にかかった。
 2013.11.5
高倉天皇皇后徳子の大原西陵
 
高倉天皇皇后徳子の大原西陵

 日葉酢媛命陵  所在地=奈良市山陵町字御陵前325
 (狭木之寺間陵)  近鉄平城駅から徒歩8分
参拝年月 
日葉酢媛命は第11代垂仁天皇の(後の)皇后。 

この頃から野見宿禰の進言により殉死を廃止し、埴輪にするようになったという。
2015.1.9 
2015.1.9 撮影 

 磐之媛命陵  所在地= 奈良市佐紀町字ヒシゲ
 平城坂上陵  近鉄新大宮駅より 徒歩25分
参拝年月
 仁徳天皇の皇后。
大和ウオークの際に立ち寄った。
 2015.1.9

2020.1.6
 2020.1.6 撮影

2015.1.9 撮影 

 世泰親王墓  所在地=吉野郡吉野町吉野山字塔ノ尾(如意輪寺内)

2016.7.27 金峯山寺蔵王堂を参拝の際、後醍醐天皇陵とここ世泰親王墓を参拝した。
 
 

 慶光天皇陵   所在地=京都市上京区寺町通広小路上ル北之辺町、廬山寺内
 参拝年月
京都御苑から下鴨神社〜京都植物園へのウオーキング途上、廬山寺の中に当陵があった。
 
 2015/11/6

 石碑
 
陵への参道

推古天皇皇太子 聖徳太子墓  所在地=大阪府南河内郡太子町太子2146


推古天皇の時代、摂政として聖徳太子(欽明天皇の子の用明天皇の子)が成し遂げたことは枚挙にいとまがない。
遣隋使の派遣、冠位十二階の制定、憲法17条の制定などをあげることが出来る。

今一人、蘇我王朝を夢見た蘇我馬子が内政を担当し、
3人がお互いを牽制しあいながら大和三山のごとく女帝推古の時代・近代国家へと邁進した。

2008.10.16、寿大学のウオーキングで再訪した。 

参拝年月日
   
   
2017/02/19 撮影
 
2017/02/19 撮影
2004/10/07
2008/10/16
2017/02/19

春日宮天皇陵 奈良市矢田原町

2019.12.29(日)   

県道80号線(奈良〜名張間)を水間峠へ向けて車を走らせていて道路左手にあるのが目に付いた。

皇位とは無縁で文化人としての人生を送った。
しかしその薨去から54年後に、息子の白壁王(第49代光仁天皇)が即位し、春日宮御宇天皇の追尊を受けることとなった。
現在の皇室は志貴皇子の子孫となる
。・・・Wikipedia より