第120代 | 仁孝天皇陵 | 陵名=月輪陵 (ツキノワノミササギ) |
陵の形=九重塔 | 皇居=平安宮 |
父=光格天皇 | 母=藤原セイ?子 |
在位年数=30年(1817〜1846年) | 年齢=47歳(1800〜1846年) |
所在地=京都市東山区今熊野泉山町 泉湧寺内 |
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![]() 2004.9.12、撮影 |
![]() 2004.9.12、撮影 |
第121代 | 孝明天皇陵 | 陵名=後月輪東山陵 (ノチノツキノワノヒガシヤマノミササギ) |
陵の形=円丘 | 皇居=平安宮 |
父=仁孝天皇 | 母=正親町雅子(義母藤原祺子) |
在位年数=21年(1846〜1866年) | 年齢=36歳(1831〜1863年) |
所在地=京都市東山区今熊野泉山町 泉湧寺内 |
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![]() 2004.9.12、撮影 |
![]() 2004.9.12、撮影 |
第122代 | 明治天皇陵 | 陵名=伏見桃山陵 (フシミモモヤマノミササギ) |
陵の形=上円下方 | 皇居=東京皇居 |
父=孝明天皇 | 母=中山慶子(義母英照皇太后) |
皇后=一条美子(昭憲皇太后) | 皇妃=側室・柳原愛子(大正天皇の生母) |
在位年数=46年(1867〜1912年) | 年齢=61歳(1852〜1912年) |
所在地=京都市伏見区桃山町古城山 |
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参拝年月日 | ![]() 長い参道 |
![]() 23段×10の石段 |
2006/06/09 | ||
2008/10/08 | ||
2010/02/22 | ||
2010/03/25 | ![]() 2006.06.09 |
![]() こんもりしたお墓 |
2011/09/11 | ||
2015/02/06 | ||
2017/07/15 | ||
参拝年月日 | 明治天皇の御陵のお隣には昭憲皇太后の御陵があった。 | |
![]() 2006.06.09 |
![]() 昭憲皇太后御陵 |
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2006/06/09 | ||
2008/10/08 | ||
2010/02/22 | ||
2010/03/25 | ||
2011/09/11 | ||
2015/02/06 | ||
2017/07/15 |
第123代 | 大正天皇陵 | 陵名=多摩陵 (タマノミササギ) |
陵の形=上円下方 | 皇居=東京皇居 |
父=明治天皇 | 母=側室・柳原愛子(義母昭憲皇太后) |
皇后=九条道孝の娘節子(サダコ)=貞明皇后 | |
在位年数=15年(1912〜1926年) | 年齢=48歳(1879〜1926年) |
所在地=東京都八王子市長房町 |
東京の孫娘の誕生祝に会いに行った際、武蔵野まで足を伸ばし大正・昭和両天皇陵を参拝した。 新宿から京王線高尾駅で下車し、すぐ近く。 ただ、案内標識がなくて少しわかりにくかった。 大正天皇は生後まもなく大病を患い、その後も成長の過程において諸病にかかり、心身の発達は思うに任せなかった。 いわゆる「遠眼鏡事件」で帝国議会の開院式で天皇が詔書を巻いて議員席を見下ろしたというのは今でも知る人は知る。 心身が弱いのは近親結婚が長く続いたから、と思われ昭和天皇は長子の平成天皇には民間の女性(正田美智子)をお妃にした。 |
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参拝年月 | ![]() 多摩陵入り口 |
![]() 2010.6.7 |
2010/06/07 | ||
![]() 大正天皇陵 |
![]() 貞明皇后陵 |
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第124代 | 昭和天皇陵 | 陵名=武蔵野陵 (ムサシノノミササギ) |
陵の形=上円下方 | 皇居=東京皇居 |
父=大正天皇 | 母=貞明皇后 |
皇后=良子(ナガコ)女王(久邇宮) | |
在位年数=64年(1926〜1989年) | 年齢=89歳(1901〜1989年)明治34年4月29日生まれ |
所在地=東京都八王子市長房町 |
武蔵野陵の名で大正天皇陵のすぐ隣にあった。 どちらも土葬で陵は土饅頭型。 昭和天皇の時代、満州事変(1931)・盧溝橋事変(1937)を経て日中戦争、太平洋戦争の勃発・終戦と多難な時期であった。 |
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参拝年月 | ![]() 昭和天皇陵 |
![]() 香淳皇后陵 |
2010/06/07 | ||
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