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第71代 | 後三条天皇陵 | 陵名=円宗寺陵 (エンソウジノミササギ) |
陵の形=円丘 | 皇居=平安宮 (ヘイアンノミヤ) |
父=後朱雀天皇 | 母=禎子内親王(陽明門院) |
在位年数=5年(1068〜1072年) | 年齢=40歳(1034〜1073年) |
所在地=京都市右京区竜安寺朱山竜安寺内 |
第72代 | 白河天皇陵 | 陵名=成菩提院陵 (ジョウボダイインノミササギ) |
陵の形=方丘・堀 | 皇居=平安宮 (ヘイアンノミヤ) |
父=後三条天皇 | 母=藤原茂子 |
在位年数=15年(1072〜1086年) | 年齢=77歳(1053〜1129年) |
所在地=京都市伏見区竹田浄菩提院町 (火葬塚=北区衣笠西馬場町) |
参拝年月日 | 院政の創始者として歴史に名を残した白河上皇の性的乱脈ぶりは有名。 平清盛が実は白河上皇の落胤だったというのは公然の秘密。 |
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2021.3.17 | 例年より随分早くサクラの便りが知らされる陽気の日、参拝した。 陵の目の前には第2京阪道が走っていた。 後三条天皇の第一皇子として生まれ20才で即位し在任期間は15年。 上皇後はここ鳥羽離宮を住居とした縁の場所だとか・・・ |
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第73代 | 堀川天皇陵 | 陵名=後円教寺陵 (ノチノエンキョウジノミササギ) |
陵の形=円丘 | 皇居=平安宮 (ヘイアンノミヤ) |
父=白河天皇 | 母=藤原賢子 |
在位年数=22年(1086〜1107年) | 年齢=29歳(1079〜1107年) |
所在地=京都市右京区竜安寺朱山竜安寺内 (火葬塚=北区等持院東町) |
第74代 | 鳥羽天皇陵 | 陵名=安楽寿院陵 (アンラクジュインノミササギ) |
陵の形=方形堂 | 皇居=平安宮 (ヘイアンノミヤ) |
父=堀川天皇 | 母=藤原苡子 |
在位年数=17年(1107〜1123年) | 年齢=54歳(1103〜1156年) |
所在地=京都市伏見区竹田内畑町 |
参拝年月日 | 鳥羽上皇は譲位後、白河上皇が創建した鳥羽離宮に入り、殿舎や仏殿を増築 その際に下の写真「冠石」の上に冠を置き、これを中心に造営したと伝わる。 鳥羽法皇は崩御後、鳥羽殿(鳥羽離宮)の安楽寿院内の三重塔に葬られた。 この塔は法皇が生前から自らの陵とするために造営していたものであった、と。 |
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2021.3.17 | 白河天皇陵参拝の時、あわせて当鳥羽天皇陵・近衛天皇陵にも参拝した。 ワタシの御陵観からは一風変わった御陵で庭園風だった。 それは安楽寿院の中にあるためだった。
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第75代 | 崇徳天皇陵 | 陵名=白峯陵 (シラミネノミササギ) |
陵の形=方丘 | 皇居=平安宮 (ヘイアンノミヤ) |
父=鳥羽天皇 | 母=藤原璋子(待賢門院) |
在位年数=19年(1123〜1141年) | 年齢=46歳(1119〜1164年) |
所在地=香川県坂出市青海町 |
参拝年月 | 系図上は鳥羽天皇の子となっているが、実は父親は白河天皇。母の藤原璋子は幼い頃から白河天皇にかわいがられ17歳になったとき孫の鳥羽天皇の後宮に入れられた。 崇徳天皇(顕仁親王)が自分の子でないと知った鳥羽天皇の気持ちが後の皇位継承問題に発展して、「保元の乱」(1156〜)の遠因になった。 2007.4.17、四国遍路の途上81番白峰寺参拝時当崇徳天皇陵にも参拝した。 白峰寺は88ケ寺で参拝客が多いが、こちら崇徳天皇陵の方は人気がなく陵の手入れも他の陵に比べおそまつに感じた。 宮内庁さん大丈夫?? |
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2007.4.17 | ![]() 2007.4.17撮影 |
![]() 2007.4.17撮影 |
![]() 2015.10.10 撮影 |
2015.10.10 |
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